だって、最初はクリスチャンしかいなかったんだろ?
っていうか、クリスチャンっていうそういう考え方じゃなくて、なんていうか、当たり前というか。
例えれば、家があって、家出した人がいてそこで、子孫ができたとすれば、その子孫は最初の家(神様)のことを知る余地も無い。
その家出子孫が増えに増え、今日本では、逆にクリスチャンが変な感じ。世間的にです。世間的に。
なんか、おかしいな。
家出子孫が可哀想すぎる。
もしその人が、いくら頑張って生きても、例え福音を聞いたとしても、その福音の仕方が信じるのは、極端に言えばおかしい。
みたいな、福音や知識だけ知って、いざ死んだら、あなたは福音を聞いたのに信じなかったから、…
みたいな。
いや言うまでもなく、これは勝手な僕の考えです。
だから、どうせ俺らは天国に行くなら、いくらここで馬鹿にされても正しく、正しく福音を伝える責任がある。
これは、僕の兄がいってたことですが、いくら福音を伝えたからといっても、それをキャッチボールに例えると。
福音ボールをしっかり相手の胸に投げて、相手がとらなければ相手がね。うん、相手がね。
でも、クソボールとか投げて、俺は伝道をした!とか、ほざけって感じ。なのか?
ショートバウンドとか、厳しいよね。
どっちなんだろう。
ま、これはどうでもいいや。
でも、伝道はするべきことでしょ!
責任はある!
ていうか、、、命令。命令。…命令?
大宣教命令っていうしね。
み言葉
☆「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
マタイの福音書 28章 20説
IZA
0 件のコメント:
コメントを投稿