2014年8月30日土曜日

客観的かつ論理的観からの思考

いややっぱ、物事を多面的に捉えることって大切だよね。

でも、やっぱそれ以上に大切なのは物事を的確に捉えること。まあ、ほぼ一緒なんだけどね。


例えば、賛美に置ける問題。

技術と臨在のことで、しょっちゅう腹が立つ自分。

少なからずは技術が求められる、協調性が求められるとき、ある人は『臨在があればいい。』

••••終わり。

それってものすごーーーくレベルが低いと思うんですよ。

なんて言うか、臨在があればいいとかいうのは当然すぎるって言うか、それでそれで周りとの一致が無かったらダメでしょ。

臨在が技術よりは勝っているのは当然です。技術は本当の臨在に比べるに値しないのではないでしょうか。

終わりの時代は臨在がものすごーーーく重要なポイントっていうことはわかっているんですが。


僕が言いたいのはこうです。



臨在            ある        ない       ある


技術            ない        ある       ある

客                  Y  〈      X         多い多い

救われる      X     〉   Y         多い多い


っていうことなんですねもしもし。

神様の考え次第では変わるでしょうが、普通は(この普通を創ったのも神様)こうだと思います。

なぜクリスチャンなのに、どちらかを犠牲にしようとするのでしょうか。
両方求めればいいではないかーーー、はっはっはっはっはあー。


ま、俺はある意味でどっちも求めないと。片方どころかどちらもない。

IZA




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