いややっぱ、物事を多面的に捉えることって大切だよね。
でも、やっぱそれ以上に大切なのは物事を的確に捉えること。まあ、ほぼ一緒なんだけどね。
例えば、賛美に置ける問題。
技術と臨在のことで、しょっちゅう腹が立つ自分。
少なからずは技術が求められる、協調性が求められるとき、ある人は『臨在があればいい。』
••••終わり。
それってものすごーーーくレベルが低いと思うんですよ。
なんて言うか、臨在があればいいとかいうのは当然すぎるって言うか、それでそれで周りとの一致が無かったらダメでしょ。
臨在が技術よりは勝っているのは当然です。技術は本当の臨在に比べるに値しないのではないでしょうか。
終わりの時代は臨在がものすごーーーく重要なポイントっていうことはわかっているんですが。
僕が言いたいのはこうです。
臨在 ある ない ある
技術 ない ある ある
客 Y 〈 X 多い多い
救われる X 〉 Y 多い多い
っていうことなんですねもしもし。
神様の考え次第では変わるでしょうが、普通は(この普通を創ったのも神様)こうだと思います。
なぜクリスチャンなのに、どちらかを犠牲にしようとするのでしょうか。
両方求めればいいではないかーーー、はっはっはっはっはあー。
ま、俺はある意味でどっちも求めないと。片方どころかどちらもない。
IZA
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