2016年4月9日土曜日

11日目

どーも。おまっちです。


やっぱり投稿が遅くなってしまいました。すいません。


言い訳をすると、ついさっきまでお父さんとお祈りしていたんです!(^^;



さて。




早速、昨日書いていた重大発表です。




私おまっち、、いえ、木原ヨハネは主の十字架クリスチャンセンター神のしもべ長崎教会を巣立ち、

東京神学校で学び、厚木聖書キリスト教会に献身者として遣わされることになりました。



念のため言っておきますが、東京神学校と厚木聖書キリスト教会は主の十字架ではありません。



今回、本当に驚くような導きでこのようになりました。




具体的なこと全てをブログで証することは出来ないんですが、可能な限り書かせていただきます。


長くなるので関心がない方は読まない方が良いかも。笑



今回の旅は僕自身の今後の進路を求めるために出ました。


それで、写真にも写っている西住牧師先生をお尋ねし、とある神学校の話を聞かせて頂きました。



西住牧師先生とそのご婦人は本当に僕にとっての最善をと、とても良くしてくださいました。


そして、この時に東京神学校で校長をされている尾山令仁先生とお会いさせて頂いたのです。


尾山先生は、新改訳聖書の出エジプト記とヨシュア記の翻訳をされた方で、また現代約聖書を一人で翻訳された方です。




失礼を承知で言えば、僕にとって尾山先生が何をされたとか、有名な先生だとかは重要じゃありませんでした。



ただ、一人で聖書を訳してしまうほどに神様を求めていらっしゃるということ、神様を愛しているということに感動したんです。



ちょうど大阪によった時、お爺ちゃんが目が悪いから普通の聖書は読めないので、大きな字で聖書を書きうつして読んでいたんですね。


そんな神様を愛する姿を見て涙が出そうになったというようなことがあったばかりだったということもあり、



よもや尾山先生と直接お会いすることになるとは。。。




それから、一週間ほど神様のみ心を求めました。


東京神学校で学べきか、長崎に残るべきか。



はたまた違う道があるのか。




ずーーーっっと、頭はそのことで一杯でした。



それがこの何日かのよく分からないブログですね。笑





僕自身は本当に聖書を学びたいと思っていました。

だから、こんな最高な場所で学ぶということをぜひしたいと思いました。



けれども、



右も左も分からない場所で、学び、伝道し、奉仕するというのは勢いで行っても続きません。



それは長崎での何年かでよく解っています。



だからとにかく言葉を求めました。



もちろん、


「行くにしても残るにしても、違うにしてもあなたのみ心がなりますように。私はあなたに従います。」


そう祈りました。

けれども、


「行きたい。」


「行かせてください。」


「行けと言ってください!」





なかなか答えは貰えなかったんだけど、




ある時、聖書を読んでいるとふと「上ってはならない」という箇所がが心に止まりました。



これは残れってことかな?




でも、この半年ほどで神様と交渉できることを知っていましたから、



それでも、行かせてください!と祈りました。




でもそんな中で気づかされたことは、




「あ、今これがもし本当に残れってことだったら、、、俺は従えないな。。。。。」




と言うことです。


結構、というかかなり衝撃でした。



自分は、神様を愛することが使命だと思っていたし、




それが出来るとか出来ないというよりも「愛するんだ。」と、



そして、「あなたを愛します。」と祈っていたからです。




聖書から言えば、愛するものは従います。


僕は神様をホントの意味で愛してなかったんですね。




だからショックでした。




それだ祈り直しました。




「正直に言います。今残れと言われても、私は残れません。私は本当の意味であなたを愛せません。けれどもあなたを愛したいです。けれども、あなたに従いたいです。どうか憐れんで下さい。赦して下さい。」



この時、久しぶりに涙も出ませんでした。
僕は自分が許せませんでした。
情けなくてしょうがなかったんですね。



しかし、神様はなんと答えられたか。



ルカ7:47,48
「だから、わたしは「この女の多くの罪は赦されている」と言います。それは彼女がよけい愛したからです。〜」


「そして女に「あなたの罪は赦されています」と言われた。」




この「彼女」が、この時自分とすり変わって自分に向かって神様が語られているのが分かりました。




あなたが私をよけいに愛したから。



よけいに愛した、と。


この言葉がズドン、と飛び込んできました。




いや、少し他の人から見れば余計に、、という部分に心当たりがあるんですよ。



それは書きませんけど笑



僕は愛せなかったのに、あなたは愛したから、と。


あなたの従えないその弱さ、その罪は赦されたと。




ここで涙が止まらなくなり、




そして、つづくのが50説



「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」





神の愛、というのはどこまで深いのでしょうね。


悔い改めるならば。



罪があるのに、あなたは正しいと言い、


価値がないのに、あなたは高価であるといい、



不忠実なの、よくやったと言ってくださる。





行く前に大切なことを学ばされました。



今ならぺテロの気持ちが分かります。




これを読んだ人に勘違いしてほしくないんですが、僕は長崎教会が大好きです。



愛する長崎教会の神の家族も、肉の家族とも離れたくない。




むしろ、知ってる人もほとんどいない場所に行ってやり方もなんもかも違う場所に行くことは不安の方が大きいです。



けれども、嘘はつきたくないので正直に言いますが、



残りたくない。



行きたい。




という気持ちがあったのも事実です。



今はとにかく「安心して行きなさい」と神様が語ってくださいました。



長崎を離れるのは正直に言って寂しいですが、



神共にいます道を、歩んで行きたいと思います。




今度の日曜日が長崎で最後の礼拝です!



月曜には厚木に行きます。




礼拝で証があります。涙で話せるかわかりませんが、ちゃんと証したいと思います。



とにかく最後は長崎教会の皆さんとともに心から主を礼拝したいと思います。




おまっち

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