こんにちは、『宗教なんて大っ嫌い』が①で『漠然とした虚しさ』が②です。
早速続きから話しますが、心の真ん中にぽっかりとした虚しさがある人がいると思います。
できる限りそういうことは考えたくないし、もうそういうこと考えずに、目の前の幸せを感じよう。
この考えもチョー納得。
でもそれだと、その虚しさから逃げられない状況になったとき、術がありません。
答えなんてないんだ。という考えもあります。
でも、その虚しさに対する答えが無いなんて、誰が決めたんですかね?そして、聖書には答えがはっきりと明記されています。それは神の愛を知ることです。
たしかに戦争を起こしてるのはキリスト信者です。
でもキリストや聖書はそのように教えていません。
でもまだ聖書そのものの話をされても納得いかないですよね。神の愛とか、何いってんだ。と思いますよね(笑)
だから、まずは人の愛を考えてみましょう。
まずは恋愛から。
高校生って、恋愛しますよね~。
ま、僕にも片想いの好きな人はいるけど、、(笑)
いやいや、そんなことより、恋愛こそが真ん中の虚しさを埋めてくれる。これこそがいきる意味の本当の答えだと。そうだと思いますか?
だとしたら、質問です。
その好きな人のどこが好きなんでしょうか。
理由なんてない、その人がその人だから好き。
と、思いたいですが、必ず理由があります。
理由もなしに人を好きにならないからです。
そこは、もうそういうものだから、ここは強引に話を進めます。
理由をもって好きになるということは、その存在すべてをそれだけで受け入れてることにはなりません。
残酷な話だけど、どれだけ好きでも、相手の全てを受け入れることなんてできないんですね。
それは、相手が悪いからではなくて、自分にその度量がないということです。
恋愛なんか特にそうです。まー、恋愛とひとくくりにしても、それぞれですが、要は異性間での恋のことですよね。
異性間での恋といえば、少しでも色気を出して誘ってみたり、かわいい声を出してみたり、髪型決めて、着こなして、男前のところ見せたり、まーそういうのに惹かれたりしますよね。
うん、僕だってそうです。
もちろんそれだけが恋愛じゃないけど、そういう一面がかなり強いでしょ?
悲しい話をすれば、『ブスでデブでチビで不潔で、でもものすごく優しい理解者』に恋をしますか?
するんだったら本物。しないんだったら、多少は外見に左右されてるってことです。
それこそ、『~だから好き』っていう条件付きですよね。
どんな人間にも、無条件で人を愛する力はないんですね。もちろん僕もです。
にも関わらず、無条件で愛されたいと思う。
自分の存在をそれだけで受け入れてほしいって誰しも思うはずです。
んー、困ったものだ。。。
おっと、家族はどうでしょう。
家族は別に外見がどうとかで、嫌いますか?
いーや、普通は親は子供をそれだけで愛するものです。
次は家族愛を考えてみましょう。
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