2018年4月22日日曜日

ディスカッション

詩ばかり載せてますね、すいません。。

最近はチャペルの形も変わってきました。

ディスカッションをするようになりました。これからは、俺主体じゃなく先生主体です。

伝道で俺が話すことはもう話しきったと思うので、今はディスカッションで神とは関係ないことをディスカッションしたりします。

18歳での成人を認めるべきか

について話し合いました。


これを読んでる人にとっては、僕に神のことをいつまでも話続けて欲しいのかもしれませんが、話すべき事はもうしたし、いつまでも口でベラベラしゃべるのではなく、実践のときですね。

そして、ディスカッションのときでも、みんなのグループの一人の意見という形で、聖書の角度から意見を発表することができます。

教卓にたって上から話すのは、一旦休みます。若いうちから人を教えてたら大概自分を教えなくなる気がしますしね。




2018年4月15日日曜日

夜空の星に


夜の夜空に願い事
星を眺めて呟くの

淡い心の微かな気持ち
知らないようで無視できない

真っ暗夜空の暗闇に
静かに光る微かな星たち

どんなに遠い光でも
私のもとに届いてる

消えないあなたのその光
なんだか強さを感じるわ

小さな小さな明かりには
揺れない何かを感じるの

消えない光を確かめながら
淡い願いを心に刻むの



単にロマンチックで、詩的で、恋っぽい詩を書きたかっただけです。
まったく自分の心を表している詩ではない。

2018年4月14日土曜日

遠い国の誰かになら

知らない誰かになら
出会ったこともない
遠い国の誰かになら
優しい思いでいれるけど

思いを知れば知るほど
近くになればなるほど
受け入れられない自分がいて
やさしくできない自分がいる

遠い国の誰かじゃなくて
隣のあなたを大事にするのが

一番難しくて

一番大切なこと





という詩です。

枯れない根

共に喜ぶ幸せは

笑顔の花を咲かすけど

共に悲しむ幸せは

決して枯れない涙の根をはる





以上の詩です。題名はてきとうです。

2018年4月12日木曜日

ひいらぎ

冬のさくらは枯れていて
冬のひまわりは姿を見せない
立派な花はもたないけれど
たとえ冬でも見守ってるよ



解説したら味わいが薄れるのですがね。
ひいらぎって豪勢な花はないけど、冬でも緑の葉を繁らせてるんですね。
寒い冬の時でも見離してくれない存在みたいなものを意識しました。

嘘の嘘

その人のため嘘をつくのは
別に悪いことではない

でもその人のためつく嘘が
そんなに多いはずがない

自分を守るためつく嘘を
その人のためだと自分を騙し
いつしかそれにも気づかなくなる

嘘を嘘で上塗りしていき
すり替える術だけ
いつしか覚える



これは、ほぼ文句みたいな詩ですね。
でも、こういうことってありますよね。


自由の結末


何を言うかは自由だ


どう生きるかも自由だ


でもその責任が問われる





この詩(詩にしては短すぎますね。)に込めた思いは色々ありますが、書かないことにします。

孤独

人はみんな孤独が嫌いだ

誰かと笑いたいし
誰かと泣きたいし

そうやって心の荷物を
下ろす場所を探している

でもどれだけ友達とはしゃいでも
求めているのはそれじゃないんだ

誰かと一緒に笑っても
誰かと一緒に泣いたとしても

何なんだろう

いつもどこかが悲しんでいる




これは、題名の通りの詩ですね。

まどぎわで

今日に追われて今日が終わる

やりきったゴールも
明日へのスタート

明日も追われて終わるだろう

追われる日々を走りながら
彼方のゴールを目指すけど
何やら最近気づいてきた

どこを目指して走るのか
それが自分にわからない

なぜスタートしたのかすら
問いたいけど誰も知らない

走る理由もないのなら
いっそ走るのやめようか

ただ毎日に追われて
散っていくだけなら





まー、高校生の忙しい日常を書いた詩です。
こっからイエス様という解決を知ってほしいのですがね。

誕生

まだ何も知らない君へ

生まれてきてくれてありがとう

君を必要としている人がいる

君を待っている人がいる

目的があって与えられた命

必要ない人なんていないんだ

何も知らない君の瞳は

悲しいほど純粋だね

何も知らない君から教わったこと




個人的に好きな詩なんですが、神を感じないですね。少しヒューマニズムを感じるので、個人的に没ですが、載せときます。

ひまわり


真夏に咲く一輪のひまわり
君はどこから来たの どこへいくの
そんなにまっすぐ どこを見つめてるの


青い海を君は知らない
白い雪を君は知らない
ただ黙って上を見上げてるだけ

何も知らないはずなのに
何だか僕が何も知らない気分に
なるのは どうしてだろう




高校で最初に書いた詞ですね。
知ってるようで何も知らない人間
知らないようで核心を知っている花
みたいなものを意識しました。

2018年4月7日土曜日

詩をあげてみましょう

暇潰しに詩をたくさん書いていた時期があるのですが、あげてみます。

恥を忍んでです。

決して、あげたいわけではありません!( ̄^ ̄)


たくさん有るので、これで毎日(忘れてなければ)ブログを書くことができますしね!笑

まー、17の若者がほざいとるわ見たいな、軽い感じで読んでください!


若い人には真剣に読んでみて欲しいです!

↓の続き

大切なこと良い忘れてました。


甘やかすことで他人に厳しく自分に甘くなり、その事にすら気づかなくなるということでしたが、

その上でキリストを知っているので、罪の赦しやノンクリに対して見下したり対抗心を燃やしたり、しかし自分自身の問題に、気づけない。

自分に甘かったら行動が伴わないしね。
自分の弱さは聖霊がおおうのはアーメンですけど、
だったら、他人を必要以上に責めるのはもはや罪ですよね。


一番言いたいのは、

自分に厳しくない人の言葉はむなしく聞こえる。

ということです。

何もひびかない。

聖霊が働けば良いとはいうけど、はっきりいって開き直れと言われているような気がしますね。


まずもって、自分が聖霊に満たされる必要があって、語る前に自分が神の前にどう生きるかだと思いますしね。

何より、イエス様がこんな生きざまだったとは思えないんですよ。

30歳まで語らず、ましてや自分に甘かったとは思えない。忠実に働いたとあるけど、僕からしたら忠実さには努力が必要だと思いますし、もちろん神の助けあってこそですけど、始めから頑張る気がなかったら、僕は宿題せずにこたつに寝転がって、主よ!宿題を終わらせてください。と祈りますね。

とまあ、こんな具合に自分に甘くしてしまうので、厳しくする「意識」は多少なりとも必要だと思います。

甘やかす

甘やかすって本当に恐ろしいですね。

後になって変わろうとしても、なかなか変わりませんしね。


自分にとことん甘い僕ですが、恐ろしいほどその事をいま痛感してるので、厳しくしたいと思ってます。


少なくとも他人に福音を話しておきながら、そして厳しくしておきながら、自分のことには目をつむるなんてのは御免被りたいですね。一番最悪は、その事にすら気づかなくなることですね。

僕の場合厳しくするってのは、忠実と忍耐これにつきますね。

具体的にいえば 
宿題、キレない、落ち着き、、あと守るべき常識を守る。

伝道してる身なのでね。

お、いまかっこいいこといった。

2018年4月2日月曜日

若い男のクリスチャン

若い男のクリスチャンにとって、悩みの種は、女性でしょうね。

あ、いやいや、女性が悪いのではなく、男の情欲が悪いのです。

「男」といって一くくりにして責任所在地を多数にすることで、自分自身の一個人としての責任をぼやかしたり、個人のこととして考えることから逃げることは僕としてはよくあることなので、男という呼び方をやめます。僕じしんの問題ですね。

僕の今の一番の問題は性欲なんですねー。



おっと、こういうことを話すのは、キリスト界隈ではタブーとか世間では痴漢だと言われるかもしれませんし、何よりも俺の人格を疑われて、女性なんかは特に近づくのも嫌になるかもしれませんが、、しかしですねー、、どれだけ体裁を繕っても、人の心って汚れてるんだなって思うのです。

僕の心は薄汚れているのです。いや、濃ゆ汚れているのです。(こんな言葉はありませんが)だからといって、堂々とおれは情欲をもってるー!なんて大声でいうことでもないのですが、、、、しかしはっきり話したいなと思うので話しますね。



僕は言葉を話し出したらきりがない。周りの人は僕をメッセンジャーとして誉めたり尊敬してくれたりする人もいますが、、誰が本当に主の前に正しいかなんて、神しかわからないですよね。

若いうちにメッセージに慣れるのは、危険な側面もありますしね。人に話すことばかり慣れると、自分を教えなくなるんですよね。


話それましたけど、僕のこの性欲の話です。

きっと男にとっては大きい問題だと思います。

世の中ではかわいいとか性行為をしたいとか、そういう衝動を好きとか愛とかいう言葉で表現しますが、こんなの愛ではありませんよね。女性を汚してしまう単なる自分の汚れた欲望です。

無論、世の中にもしっかりこの欲望と愛というものの区別をしている人はいると思いますが。


僕は人にイエスキリストのことを伝えていながら、イエスキリストが僕に伝えてくれたことを何も実行していない。

罪の赦しは、わかります。

でも、だからといって罪をおかすわけにもいきません。

しかし、この欲望というのは、どうしようもないんです。

それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。



聖さが僕には必要だし、それこそ聖霊が、必要なんだと思います。聖なる方というのは、汚れの無い方という捉え方もできますしね。



だけど問題は、これだけ頭でわかっても、なんだか心の底から聖霊を求める気がしないのです。

そりゃ、聖霊に満たされたいけど、そのことよりも好きな人のことで頭がいっぱいになったり、違うことで頭がいっぱいになるのです。


なんだか、もはや自分の意思で、聖霊を求めることすらできないのかな、と感じます。

正直にいうと、今の罪の快楽(それは情欲を抱くことに限らずですが)から離れるのが嫌なのです。

どれだけ神に近づきたいと思っても、罪から離れたくない思いが圧倒的に勝ってしまう。

自分の意思は、神を愛してもいないし、罪をわかったところで変わりたいとも思わない。

だから、あわれんでくださいと祈るしか、僕にはないんです。

若いときのエネルギーとか勢いなどで解決できるものでもないですし、ただ聖書読んで、あわれんでくださいと祈るしかないと思います。

明日から再開

明日から学校が始まります。

チャペルはもう終わりにするつもりだったんですが、続けるように語られましたので、するしかないですね。

自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。


という箇所ですね。

自分自身にも、よく気を付けない。ということですね。