2018年4月2日月曜日

若い男のクリスチャン

若い男のクリスチャンにとって、悩みの種は、女性でしょうね。

あ、いやいや、女性が悪いのではなく、男の情欲が悪いのです。

「男」といって一くくりにして責任所在地を多数にすることで、自分自身の一個人としての責任をぼやかしたり、個人のこととして考えることから逃げることは僕としてはよくあることなので、男という呼び方をやめます。僕じしんの問題ですね。

僕の今の一番の問題は性欲なんですねー。



おっと、こういうことを話すのは、キリスト界隈ではタブーとか世間では痴漢だと言われるかもしれませんし、何よりも俺の人格を疑われて、女性なんかは特に近づくのも嫌になるかもしれませんが、、しかしですねー、、どれだけ体裁を繕っても、人の心って汚れてるんだなって思うのです。

僕の心は薄汚れているのです。いや、濃ゆ汚れているのです。(こんな言葉はありませんが)だからといって、堂々とおれは情欲をもってるー!なんて大声でいうことでもないのですが、、、、しかしはっきり話したいなと思うので話しますね。



僕は言葉を話し出したらきりがない。周りの人は僕をメッセンジャーとして誉めたり尊敬してくれたりする人もいますが、、誰が本当に主の前に正しいかなんて、神しかわからないですよね。

若いうちにメッセージに慣れるのは、危険な側面もありますしね。人に話すことばかり慣れると、自分を教えなくなるんですよね。


話それましたけど、僕のこの性欲の話です。

きっと男にとっては大きい問題だと思います。

世の中ではかわいいとか性行為をしたいとか、そういう衝動を好きとか愛とかいう言葉で表現しますが、こんなの愛ではありませんよね。女性を汚してしまう単なる自分の汚れた欲望です。

無論、世の中にもしっかりこの欲望と愛というものの区別をしている人はいると思いますが。


僕は人にイエスキリストのことを伝えていながら、イエスキリストが僕に伝えてくれたことを何も実行していない。

罪の赦しは、わかります。

でも、だからといって罪をおかすわけにもいきません。

しかし、この欲望というのは、どうしようもないんです。

それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。



聖さが僕には必要だし、それこそ聖霊が、必要なんだと思います。聖なる方というのは、汚れの無い方という捉え方もできますしね。



だけど問題は、これだけ頭でわかっても、なんだか心の底から聖霊を求める気がしないのです。

そりゃ、聖霊に満たされたいけど、そのことよりも好きな人のことで頭がいっぱいになったり、違うことで頭がいっぱいになるのです。


なんだか、もはや自分の意思で、聖霊を求めることすらできないのかな、と感じます。

正直にいうと、今の罪の快楽(それは情欲を抱くことに限らずですが)から離れるのが嫌なのです。

どれだけ神に近づきたいと思っても、罪から離れたくない思いが圧倒的に勝ってしまう。

自分の意思は、神を愛してもいないし、罪をわかったところで変わりたいとも思わない。

だから、あわれんでくださいと祈るしか、僕にはないんです。

若いときのエネルギーとか勢いなどで解決できるものでもないですし、ただ聖書読んで、あわれんでくださいと祈るしかないと思います。

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